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2008年11月 2日 (日)

「公益」なんて存在しない

このところ「公益」と「共益」について考えさせられることが何度かあった。
「公益」とは「不特定多数の人にとっての利益」、「共益」とは「特定の集団に属する人にとっての共通の利益」だ。

NPOや公益法人といわれる団体は「公益」を求めて活動しなければいけないということになってる。

だが、ここで「公益」と称されているもののほとんどは「共益」ではないか、もっというと、純粋な意味での「公益」ってほとんどないんじゃないか、というのが最近の発見。

たとえば、独立起業した人、あるいは将来的にしたい人を支援するNPOがあったとする。このNPOが追っているのは「独立起業した人、したい人」という枠内の人の利益だ。もっといえば、そのうち会費を払って会員になっている人の利益が優先されるだろう。その意味で、このNPOが追っているのは公益というより共益である。

あるいは、「なんとか県人会」という財団法人は各都道府県ごとに存在するだろうけど、こうした県人会が追うのは会費を払って会に参加しているその県の出身者にとっての利益、百歩譲っても、故郷に関連する利益である。その意味で、やっぱり「公益」というより「共益」だ。

日本の古典芸能の普及を目指すNPOがあったとする。しかし、このNPOが目指す利益は、古典芸能に興味ない人にとっては何の関係もないものだ。

政府でさえも、基本的には「日本国民」という特定の条件を満たす人の利益のために行動する。その利益が、他国の人の利益と抵触することだってあるだろう。

そうこう考えていくと、純粋な意味での「公益」なんてほとんど存在しない。そして、全世界中、不特定多数の人のために働ける人もまた、マザーテレサぐらいしか存在しないんじゃないか。

しょせん人は、「働く女性のために」とか「ふるさと山口県のために」とか、「日本のために」とか、自分が関係する集団のためにしか働けないものなのだ。そしてそこには、その集団以外の人を画す一線が必ず存在する。

ゆえに、純粋な意味での「公益」を追っている団体も実は存在し得ない。そこで「公益のために活動してます」と抜かすのは偽善だし、焦点がボケで本当にやるべきことができなくなる。潔く「共益のために活動してるんです」と認めたほうが、結局良い仕事ができるはずだ。

企業の活動との違いは「売上」という金銭的利益を追っているか、金銭に換算できない利益を追っているか、という違いに過ぎない。お金さえ払えば誰だってモノやサービスを享受できるという意味では、企業の活動のほうがはるかに公益的とさえいえる。

NPOなど公的なものの運営に携わる人間は、この点を厳しく自覚しておくべきなんじゃないかと思う。

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